その後に寺岡精工は多くの新製品を手がけます。戦争中は海軍用の精密測定器マイクロメーターや精密ネジ切り盤を開発、1940年に戦争が終了するとふたたび民生品を手がけて1947年に電池1個で半年動く日本初の「電池式時計」、1954年に日本初の自動巻きカメラ「オートテラ」、1960年には純電気式制御方式によるオート・ドアエンジンを完成させています。
もちろん原点であるはかり事業も順調でした。1962年の業界初のグッドデザイン賞を受賞、1965年には世界初の「電子料金秤」を発表。商品を秤に載せると同時に料金が計算され、デジタル表示する画期的な秤です。いまでは当たり前に思えますが、40年前にはみんなが驚いた製品でした。
そして1970年に電子料金秤「繁栄」発売開始、1971年にはフランスへ「繁栄」を初出荷、1973年にはかりのイメージを一新した電子料金秤「DIGI」発売、1976年ラベルプリンタ「DPS-8000」発売、1978年国内初のロードセル式電子料金秤「DIGIマーク2」発売。そして1979年には電子料金秤とチェックアウトプリンタを組み合わせ、計数管理を可能にした計量POSシステム「SM-20」発売。
この時期に寺岡精工は大きな舞台に上りました。60年代から70年代にかけて、寺岡精工が取り組んだのは「電子化」です。電子化によって「はかりの寺岡」はPOSなどのストアソリューションの企業に変貌したのです。
それまでの寺岡精工は、はかりの独占的なオンリーワン企業でした。しかしはかりが電子化され、ラベルプリンタ、包装機、コンピュータとつながるようになると、それらは「いままで存在しなかった」製品であり、市場です。巨大ですが、ライバルも多くなります。電子技術はだれもが使える技術だからです。そこから寺岡精工は競争を意識するファイターに変貌していくのです。 巨大な電気メーカーがライバルとして登場し、今日まで競争が続いています。負けないためには攻めしかありません。大きい舞台で戦うのだから、真似では勝てません。ライバルたちがしないことをやる。思いつかないアイデアをカタチにする。国内だけでなく、世界にも進出していく。そういう積極的な気風は70年代の電子化によって、寺岡精工のDNAになったのです。
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